TheLosersのブログ

大丈夫、あなたの方がましです。

水戸黄門とへっぽこ殿様

どーも僕です。

 

僕の高校時代の友人について思ったことを今日は書きます。

友人は東大に確実に現役で受かるだろうとされておりながら、

落ちてしまい、一浪して東大に入学しました。

 

あのTOUDAIにです。

 

すごいなーと。

僕なんて逆立ちしても、地球が逆回転しても受かることはできないしと

素直に感心してました。

そんな友人も卒業して社会人になり久しぶりにTwitterやFBを見ると。。。。

 

要所要所での「私、東大生でしたアピール」

 

もはや「私が東大ですけどなにか??」

と言っているかのようなありさま。

 

いや、確かにすごいけども自分でそこまで言わなくていいんでない??

しかも卒業してまで東大にしがみつく??

 

まるでお客様は神様ですとお客さん側が言っているみたいな違和感を覚え

この違和感の正体はなにかを考えてました。

 

すると、時代劇の水戸黄門に答えがありました。

 

皆さん、ご存知の先の副将軍水戸光圀が悪を懲らしめていく話ですね。

その終盤のお決まりが

 

光圀「助さん、格さん、もういいでしょう」

 

格さん「この紋所が目に入らぬか!こちらにおわす御方をどなたと心得る!おそれおおくも先の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ!」

助さん「一同!御老公の御前である!頭が高い!ひかえおろう!」

 

これなんです。

 

このシーンの少し前にたいていは

 

 

へっこ悪殿様「無礼であろう!余は○○ぞ!」

みたいなシーンもありますね。

 

 

この水戸光圀とへっぽこ悪殿様、2人とも

善悪は別としてすごいはすごいです。

だってお殿様だからねぇ。

 

ですが決定的な違いがあります。

それは

 

「すごいという事実を自分て言ってしまうか否か」です。

 

 

水戸光圀は自分で口火を切っときながら

途中、助格に言わせてますからね。

 

たぶん、試行錯誤した結果、

「ここおれが言わないで助格に言わせたほうがすごさ伝わんじゃね??」

とか思ったんでしょうね。

 

さすが黄門様。

 

それに比べ、へっぽこ殿様は

焦りからか自分で言ってしまってます。

 

「そのジーパンダサくない?」と言われてしまい、

「でもマックミランだからねぇ」と言うように。

 

なので、これからは友人の東大投稿を見ても

あーへっぽこ殿様タイプだなーと思って

寛大な心で過ごせそうです。

 

 

ありがとう水戸黄門!!

 

 

 

 

 

 

 

もう旅なんてしない

なんて言わないよ絶対〜。

 

どーも、モテないサラリーマンです。

 

先週末は三連休でしたね、

 

珍しく遠出をしてました。

旅行先はそう、Hakone

 

絶対に箱根行きたい!って感じで旅行先は決まってなく

1月の半ばに鍋をつつきながら

 

友「三連休どっかいかね?」

僕「温泉にすっべ、銀山温泉ってよかとこばい」

友「いいべいいべ、飛行機のチケット取れたばい!」

 

ここまでは完璧でした。

そう、ガッキーのサラサラの黒髪のように完璧でした。

 

 

友「あれ、旅館もホテルも予約できんぞ??」

僕「そんなあほな他のサイトも見てみるべ」

友、僕「‥‥‥‥‥まいったね‥‥‥」

 

宿が満杯でした。

三連休×冬×銀山温泉のコラボレーションによりすべての宿が埋まってしまったようです。

 

おそらく人類史上最速で飛行機のチケットをキャンセルしたのは僕です。

人類最速の男としてウサインボルトと握手したいですね。

 

キャンセル料2万を払い、半ば自暴自棄となり箱根の宿を予約しました。

 

失敗からのリカバリーをし、またもやここまでは完璧でした。

 

そう、ガッキーのまん丸な黒目のように完璧でした。

 

 

 

三連休の初日に宿に向かうときに

宿のアクセスをよく見てみると

「最寄駅からバスで40分」という文字が、、、

 

苦手なものを3つあげろと言われれば

血、きのこ、そして乗り物なくらい

乗り物酔いがすごいんです。

 

駅に着き、急いでドラッグストアに向かい最強の酔い止め「アネロン」を買って、バスに乗り込みました。

 

箱根の山道は思ったよりもくねくねしてるんですよね。右に左にガタンゴトンと揺られ、吐く寸前の所で最寄のバス停に着きました。

 

やっと温泉に入れる!となんとか気分をあげましたが、

さらにそこから10分山道を登らないと着かない、、

 

なんで癒されに温泉に来てるのにこんなに疲弊しなければならないのか、、、

なんでこんな山奥に旅館着くんねん、、

家で寝て近くのスーパー銭湯行ってる方が安上がりだし疲れ取れたんじゃないか、、

 

などとぶつくさ考えていたら宿に着きました。

 

しかし着いた宿も

部屋に電気ポットも冷蔵庫もない、

部屋から風呂までの動線が悪すぎる、

風呂にサウナもない、

従業員が食べるの遅いカップルをディスっている、

将棋を借りようとしたら従業員にオセロの方が面白いよ?と言われる

 

といいところを探す方が難しいくらいの宿でした。

 

温泉に入って何もない部屋で寛いで初日はすぐ床につきました。

 

 

2日目の朝、起きると友が騒いでました。

何がとか思い聞くと

友「pcのacアダプターがない!!!!どっかで落としたんだ!!!探してくる!」

 

僕は安心して二度寝をし、友を待ちました。

バス会社にも電話をしたが、ないとのことでとても落ち込む友。

 

未だ眠い僕。 2人の温度差は広がるばかり。

空気を治すためにとりあえず飯を食べることに。

 

少し歩いたとこにポツンとあった餃子屋に行き

ニンニクの味しかしないスタミナ餃子を食しました。

 

そしてもう一泊宿はとっておりましたが、 やることもないしACアダプターもないしと帰ることに。

 

帰るときにうねうねの道をバスで降りるのは

絶対に酔うということで3キロ少々の山下り。

 

途中に美術館がありましたが

入館料を見て諦めるを繰り返してました。

 

歩道もない道をひたすら下り目的の駅に1時間半かけて着きました。

 

そして箱根湯本駅野天風呂(露天風呂ではない。)につかり

旅路に着きました。

 

振り返ってみると別に三連休でやる必要ないことばかりして

(というか箱根に行く必要がなにもなかった) 1つ気づきました。

 

計画って大事!

 

ps ACアダプターは無事見つかりました。

嘘はつくものでないし、嘘をつくなら突き通すしかない~セクシー女優の手は柔らかい~

どーも、モテない会社員です。

最近地元の某レンタルDVD屋さんが閉店していて、

もう映画や音楽をCDやDVDで借りる時代は終わりつつあるのだなと感じました。

確かに、いまやスマホがあれば映画やドラマも見れてしまう動画会員サイトも多々あるので、

お店に行って見たい映画を探すために足を棒にすることもDVDを返すのを忘れて延滞料金を無駄に取られることもなくて困ることはないのですが、

行き慣れたお店が閉店するのはさびしいですね。

その閉店したお店での大切な思い出がありましたからね。。

あれは大学4年生の春、理系学生であった僕は研究室に入りたてでしたが、就活の説明会や面接を言い訳に大学に行くのをさぼりまくっておりました。

まー本当に説明会に行っていることもありましたが、純粋に研究室をさぼっていたこともありました。割合的に説明会2のがちさぼり8くらいのくず学生でした。

いつものように研究室をさぼって地元のレンタルショップで「男の楽園」という名のR18コーナーで新作をチェックしているとあるポスターが目に留まりました。

「●●ちゃん(セクシー女優)来店!握手会のお知らせ!」

!!当時一番好きな女優さんで何度お世話になったことか。。。

その人に生で会える!

しかも合法的に初めて女性の手を握れる(正確には握手)できるなんて!

これは行くっきゃない!

るんるんになっていたところ一つ問題が発生しました。

それは握手会の日程が研究室の週一のゼミ会とまるかぶりということ。

普段の実験などは特に罪悪感もなくさぼってましたが、ゼミ会だけはさぼっていませんでした。

そこだけは一種プライドのようなものがありました。

「さすがにゼミ会さぼって握手会いくはないよなー、しかもセクシー女優の」と諦めようとしてその女優さんの動画でヌいてましたが、逆効果でした。

「会えるチャンスなんてもうないかもしれない。神様が握手しろと言ってるのだな、あのポスターを見たのも運命だな」とご都合主義全開で自分を正当化し、ゼミ会の日に面接が入った旨を教授に伝えました。

研究室のメンバーにも面接に行くからゼミ会を休むと言い、つじつまが合うように努めました。

ただ他学科のサークルの同期にたまたま会った時に言ってしまったのです、「セクシー女優の握手会明日行ってくるわ!」と。

で、握手会当日、そわそわしながらツタヤに向かい、いつもののれんをくぐりました。

そこにはいつも動画で見ているあの女性が!

すらっとしていて、お目目もばっちり、ほおーやつぱし生で見る方がかわいい!

握手+ポラロイド写真を撮るためにはDVDを買わなければならないので迷わず大好きなジャンル童貞モノを選択し握手コーナーに向かいました。

「ファンです!いつもお世話になってます!」

と恥ずかしいことを言っても笑顔で「ありがとうございます!これからも応援してくださいね^ ^」と言われ、握手。

お手手が柔らかい、、これがプロの手か、と感動し、

戦利品のDVDとポラロイド写真を持って家路につきました。

何事もないように、次の日には研究室に顔を出したのですが、そこで先輩におはようの挨拶よりも先に「握手会どうだった??」と言われ、

「んんんんん????」

なぜバレている?面接に行ってると言っていたのにまさか、先輩もツタヤにいたのか?でも地元違うしな

でも先輩も大ファンなら全然行くか往復2時間くらいだし

とか色々考えましたが、「先輩なんで知ってんですか??」

と聞いたところ、「あー〇〇(僕が握手会行くと言ってしまったサークルの同期)と昨日麻雀してて握手会行く話聞いてさ笑」

ぬぬぬーん、、引退して2年経つからそんな意識してなかったけど、そうだ先輩も同じサークルだったか、、

研究室の先輩のイメージがつきすぎていて完璧に忘れていた、、

てかあいつ、麻雀中になんで俺の話してんだよ、もっと、話すことあんだろうよ、日本の教育問題とか世界情勢とかよーと色々思いましたがもう後の祭り。

研究室のみんなに知られ、同期の女の子にも「握手会行ったんだよね笑」と軽蔑の眼差しで話しかけられる始末、、絶対にあだ名「サボり握手やろう」になってたと思います。

ここで学んだのは「嘘をつくなら突き通すしかないし突き通せないことは嘘をつかない」ということ。今の時代、SNSも盛んなので浮気やサボりなどもばれやすくなると思います。

皆さんもお気をつけください!!

※このブログは純度ほぼ100%のノンフィクションでお送りしておりますよ。

僕に友達が少なく、彼女と長続きしない理由

どうも、学者見習いです。
今日は自分がなぜ社会不適合なのかをひたすら考えていました。

タイトル通り、私には友達が少なく、彼女とも長く続きません。自分から人にあまり寄り付きませんし、人もあまり寄ってきません。まあこの時点で友達が多いわけないだろって感じですが、、、まあ多ければ良いというものでもないでしょうから、ここはそんなに気にしていません。それより問題なのが、寄ってきてもすぐに去って行きがちだということです。

これは何故なんでしょう。私は人に迷惑をかけないよう、かなり気をつけて生きています。ちょっと自信過剰な節はありますが、人を見下したり差別したりすることはありません。何かさほど人が不愉快になることをしているつもりはないのに、いつの間にか人との距離ができているんです。まあもう20代も後半になってこういう状態には慣れてしまっている部分がありますが、なんでより仲良くなる方向にはなかなか行かないんだろうと、不思議に思っていました。


最近彼女に言われ、そういえば前の彼女にも言われたなあと思い出したことがあります。それは、「あなたって、思い遣りがないよね」です。断っておきますが、私は基本的に彼女ができたらその人のことをとても好きになりますし、できる限り優しく接しようと努めます。でも、最近楽しいな〜ずっとこのままでいたいな〜とか思ったそばからこういうことを言われたんです。前の彼女のときは、自分では思いやりMAXなつもりだったので、あっちの頭がおかしいんだくらいに思っていたんですが、二度続くと流石に自分が悪いんだなと思えてきました。で、自分の言動を振り返ってみたわけです。


そして、気づいてしまったことがあります。
私は明らかに、人に与えるモノより、与えられるモノのほうが多いのです。


私はかなりの個人主義です。人間は皆、自分の道を自分の力で歩いていくべきで、他人におぶさろうとしてはいけないし、他人からの支援を期待してはいけない。逆に他人に助けるということは、その人がその苦難を乗り越えて成長するチャンスを奪うこともある。必要がないのに助けてしまうのは短期的には良くても中長期的にはよくない。あくまで各人の世界やその中での成長が尊重されるべきなのだ。こういう発想が根底にあります。そんな世界における優しさとは、まず干渉しないこと、次に何もせず温かい目で見守ってあげること、最後に死にそうなレベルで苦しんでいたら助けてあげること、これらに尽きます。風邪をひいた人にすべきことは、看病したり症状を抑える風邪薬を渡すことではなく、とにかく寝るのを邪魔しないことだといった具合です。なぜこんな世界観で生きることになってしまったのか、それはよく分かりません。小学生の頃にあしたのジョーを熱心に読み過ぎたのがいけなかったのでしょうか。気づいたときにはこんな感じになってしまっていました。

ただ周りの人々は、恐らくこういう原理では動いていないでしょう。悲しんでいる人がいたら慰めてあげる。困っている人がいたら助けてあげる。それが当たり前の正義ですし、それができる人が優しい人です。だから、他の人は普通に私に優しくしたり手助けしてくれるのに対し、私からは一切そんなことをしない、という状況がしばしば発生します。そして厄介なことに、そうやって何もしないことで優しくしているのだと、自分の中では完全に正当化されているのです。こうして、私は人からモノを受け取ってばかりで、与えない人間になっていました。周りの人からすれば、全く報われない気がするでしょう。基本的に私という人間と交際すると、損をすることになるわけです。別に損得考えて友達付き合いをするわけではないですが、一緒にいて喜びを与えてくれることがない人間から、すぐに人が離れて行くのも当たり前な気がしてきました。むしろ今少ないながらも友達や彼女がいることが、不思議なくらいです。一緒にいてくれる人、どうもありがとう。


とはいえ、このことに気づいたからといって、自分の中で何かを大きく変えることはしません。やはり基本的に人には何もしないということが、正しいことのように思えてならないからです。そしてこれからも友達は増えないんでしょう。ただ、こうして自分のズレ方を認識することで、心が安定したり、周りの人に感謝できたり、迷惑の軽減できたりするんじゃないかと思いました。対人関係に悩む方は多いと思いますが、自分の基本的な価値観について冷静に考えてみると、何か解決の糸口が見つかるかもしれません。


学者見習い

みんな理由を探している。

こんばんわ、安定のモテないサラリーマンです。

ハロウィンの馬鹿騒ぎが終わり、街に静寂が訪れると思っていたのですが、あの独り身には大変世知辛いイベントがもう近づいているんですね。

そう、恋人たちが主役のクリスマスです。

街を歩いても、コンビニの雑誌を見ても、テレビをつけても、やれイルミネーションだ、クリスマスケーキだとはやしたててくるので、モテないぼくでも少しは意識してしまいます。

クリスマスイブに夕飯が焼きそば、クリスマス当日の夕飯が麻婆豆腐という時もあるくらいクリスマスなにそれ?という家で育ったのでこの異常な恋人と過ごすクリスマス主義の面々には少し参ります。

もうクリスマスは恋人と過ごすのが正義!みたいな感じで迫ってくるのでもう1人で街を歩いてるだけで

「うわ、あの人1人でイルミネーション見てるよ、かわいそー」みたいな心の声が聞こえてくるくらい迫害もされてます。

そして、クリスマスの主役になるために一人で過ごしたくない女性もたくさんいるので恋人を作りやすい時期でもあるようです。

(実際に今やっているペアーズも最近はマッチすることが増えた気がします。)

なので、お正月であれば成就しない恋でも寂しさに漬け込んで付き合えることもあるんですね。

でここで成就したときに女友達に報告するときほぼ100%「別にクリスマス一人で過ごすの寂しいから付き合うのでは決してなく、彼の人がらに惚れ込んだからです。」とか言うのです。

お金持ちと付き合っている人も「お金目当てじゃないよ、彼のやさしさに惚れたのよ」と言いますし、

イケメンと付き合ってる人も「顔とか別にタイプじゃないし趣味合うから」みたいなこと言うんですよ。

なんで人はこう理由を言いたがるんでしょうね。

就活の時も志望動機を根掘り葉掘り聞かれます。

決して有名だからとか給料いいからと言う理由ではなく、自分の経験と結びつけてその会社でないといけない理由をそれっぽく言わないといけません。

伊集院光が落語をやめるとき、立川談志に「師匠の落語を見て自分は到底及ばないと思い落語をやめようと思います」と報告に行くと

談志に「やめる理由が見つかってよかったな」と言われたそうです。

なんとなくとか

さびしいとか

かっこいいからとか

やめたいとか

ただそれだけでは周りにあの人なんも考えてない浅い人だなと思われてしまうので、

そうじゃないよ、そんな浅い人間でないという見栄のために我々は言い訳をしたいんですね。

「別れましょ」だけじゃなくて

「あなたとわたしあまり合わないと思うの、お互いのストレスになると悪いから別れましょ」

て感じで理由をつけて僕も振られたことがありますので解ります。

まるで僕のことを思って別れるみたいな雰囲気を出しながらですよ。

付き合ってたときは私たち趣味合うね(〃ω〃)とか言ってたくせにですよ。

ただ別れたいというのはではなく。

もっとシンプルな世界になっても良いと思いますね。

人の行動理由に寛容な世界に。 自分の本当の気持ちを大切にする世界に。

やめたいからやめる。

かっこいいから付き合う。

クリスマス近いから付き合う。

※このブログも決して広告収入で会社辞めても楽に稼げねえかなとかいうしょうもない理由ではなく、

自分自身の体験、考えをみなさんと共有してあなたは決してだめじゃないです。と言うことを伝えたいだけのブログになります。

外国人研究者にめっちゃ怒られた

 

どーも学者見習いです。最近怖かったこと書きます。 

科学者の仕事は、論文を書き、それが引用されること

科学者が実際何をする仕事なのかはおいおい詳しく書いていこうと思いますが、要は「良い論文を、たくさん出す」と評価され、それが就職やら昇進につながります。何をもって良い論文かっていうのは色々議論があるところですが、引用数というのが最もよく使われる指標です。そもそも科学というのは過去の研究をベースに積み重ねていくものです。ある研究成果を論文にするときは、関連する分野で今までどういう発見があって、その結果として今何がわかっていないから、この調査なり実験なりをしました、という書き方をします。そうやって過去の研究を参照するときには、過去の論文を引用することになるので、逆にたくさんの論文から引用される論文というのは、それだけ後世に影響を与えた、意味のある論文だったという言えるわけです。

ただ、出した論文がどれくらい影響を与えるかなんて、分野にもよるでしょうけど、10年くらい経たないとわからないものです。10年経たないと仕事の質が評価できないというのでは、たとえ厳密にはそうであっても、現実問題困ります。そこで代わりに、掲載された雑誌のレベルが、評価の基準になります。この「雑誌のレベル」というのも引用数で測られることが多く、その雑誌に掲載された論文が1年間で平均何回引用されるか、という指標、いわゆる「インパクトファクター」が目安にされます。で、雑誌のレベルが高いほど基本的には審査や要求水準が厳しく、掲載される論文のレベルも高い傾向にあります。そんなわけで、科学者はインパクトファクターが高い雑誌に論文を掲載することを目指しながら、日々頑張っています。

 

外人に書いた論文を送ったら、めっちゃ怒られた

それで僕はというと、最近研究についてはぼちぼち順調でして、一か月前くらいに、僕の分野では結構有名でインパクトファクターもまあまあ高いイギリスのある雑誌に、論文を通すことができました。ここ4年くらいずっと取り組んできた自信作でして、化学分析と数値シミュレーションを組み合わせて、動物の移動経路を推定する新方法を開発したぜ!っていう内容なんですね。編集者や審査員もとても斬新で面白いと言ってくれましたし、日本の新聞もちょっと取り上げてくれました。2本目の論文にしては、相当イケてるほうだと思います。

 

で、浮かれまくった僕は、国際学会とかで知り合った、近い分野の外人研究者全員に論文を送りつけました。こういうのやっておくと、「そういえば、あんなことやってるJapaneseいたな」と、あとあと共同研究のメンバーに入れてもらえたり、雇ってもらえる可能性が出てくるので、営業活動としては大事です。基本的には皆さん、「これはGreat Workだ!!よくやった!!」と言ってくださったのですが、一人だけ、めっちゃ怒ったメールを昨日くれた方がいました。その文面がこちら!

 

Thanks for sharing this - however I'm slightly dismayed and disappointed, that given the similarity in what you have done, that you cite neither of our papers (links below) also using the method you used. I hope this was a genuine oversight, however both of these should have been picked up in any literature search you did for your project.

 

まず雑に意訳すると、

 

「論文をどうも。だが新しい手法を開発した言っているが、うちらも先に似たようなことやってきた。それがなぜ引用されていないんだ??どういう探し方したってうちらの論文に行き当たるだろーが」

ってとこでしょうか。

 

いや~読むのが怖かったってなんの。この人、結構仲良く話してくれた人で、かつ学会の中でも結構有名な人だったので、余計びびりました。 "slightly dimayed and disappointed" ってくだりにだいぶ迫力を感じますよね。slightly でちょっと丁寧にして自身の礼儀正しさを強調しつつ、dismayed とdisappointed の類語反復で怒りを強調するという、イギリス人一流の高等皮肉技術で憤怒を表明してきています。次の分も結構えぐりに来ていて、" I hope this was a genuine oversight" 「これが純粋なる見過ごしであることを願っている」として、僕に過失があるという前提で、それが単純なミスなのか意図的なものなのかという問題を提起し、"however both of these should have been picked up in any literature search you did for your project." 「しかしながら、どうやっても見過ごせるはずがない。」として、単なるミスではないんじゃないかという強い疑念を示しているわけです。やーこわい。ロジカルにかっこいいし、こういう英語書けるようになりたいけどとにかくこわい。学会から締め出されたらどうしよう。論文通らなくなっちゃうよ。。。。ヘタレな僕は、昨日はろくにご飯も食べられませんでした。

 

そんなに悪いことはしていなかった

実際ですね、この人の論文はうっすら読んだような気はしてましたが、自分のを書いている最中にはその存在を完璧に忘れていました。やってしまったか、、、というわけでもっかいその人の論文をおそるおそる確認してたみたところ、、、

 

微妙だな。。。

 

いやー似たことやってるって言ってますけど、それは膝から下だけの話であって、そっから上は体型も服装も全然違う。研究目的も違えば前提とされるデータの質も量も違うし、解析のエレガントさに至っては比べ物にならないような気がする。アリとクワガタは確かに同じ黒い虫だけど、似ているとはあんまり思わんでしょーが、みたいな。僕から見れば、そんな感じでしたし、ボスにも相談したところ、「全然レベル違うし、実際研究の参考にしていないなら引用する必要はないんだ。」という感じでした。 まあ引用しても良かったけど、引用しなくちゃいけないほどではなかったなというところです。ここまで来てようやく、すごい悪いことをしてしまったのかなという不安はなくなり、仲良くしておきたい相手ではあるので返信メールをどう書くかで悩んでいることを除けば、だいぶ心は落ち着いてきました。

 

ただやっぱり、引用しなかっただけでこんなに怒るんだな~というのは新鮮な驚きでした。引用数が1回減ったのを起こっているのか、先にやっていたことを無視され、僕が新しいことをした、と書いたことを怒っているのか。それともアイディアを無断でパクったとでも言いたいのでしょうか。僕から見れば、さっきにやっていたことを無視したというより、関係がないし参考にもしてないから引用しなかったという感じなんですがね。。逆の立場だったら、こんな風には僕は怒らないような気がしますが、これがベテラン科学者になると変わってくるのか、それともそもそもの文化の違いなのか?

 

教訓

 

今回僕が垣間見たものは、科学者の世界も事実やデータだけで作られるロジカルな世界ではなく、ただの人間社会だという事実なんだと思います。やっぱり科学者も自分の専門分野を自分の縄張りだと思っていて、そこにいきなり入ってこられて拒否反応を示したというのが、今回の僕が相手を怒りを買った理由の1つなんじゃないかと想像しています。社会不適合だから学者をやっているのに、怒られないようにするために引用する文献を探さなきゃいけないなんて、結構面倒な世界ですね。あとはイギリス人の怒り表現の鋭さにも脱帽しました。最初見たときはほんとうに息が止まるかと思いましたから。良いものを見せてもらいましたので、いつかこういう英語をスラスラ書けるようになりたいです。今後は次のことを気を付けて頑張ろうと思います。

 

論文の中で引用しなかった人には、論文を送らない。

 

 

学者見習い

 

 

 

 

 

あの日描いた大人にぼくはなれているのか。

この記事は、子供の頃に思い描いていた大人になれているのかをふと考えたブログになります。

 

 

どーもぼくです。

突然ですが皆さん、大人になったとはどういうことを言うのか考えたことはありますか?

 

経済的に自立していること?

行きつけのバーがあること?

マックミランのケミカルジーンズを履きこなすこと?

 

色々な大人像があると思いますが、ぼくが描いていた大人とは

「結婚してあたたかい家庭を築くこと」

でした。

 

そこで、ぼくはこの11月で27歳になるんですね、

27歳なんてもういい歳ですよ、

干支も2周ちょいしてますし、かの有名な「伊豆の踊り子」を発表したのも川端康成が27歳の時ですし、イチローがメジャーに行ったのも27歳なんですね。

 

でもぼくときたら

彼女もいない童貞で、思いきってピンサロに行っておっぱいを思いっきり触ろうと思ったのに、嬢に「わたし、おへそが感じるの!」と言われ30分おへそを触ることしかできなかったへたれですよ。

働いてるけども未だに実家住みですし、全然経済的にも自立ができてないゴミメガネなんですね。

 

このままでは描いていた大人になんてなれない!

と思い立ち、友達に合コンをセッティングしてとお願いしました。

 

そんなこんなで

3 on 3の合コンが開催されることになりお店に向かいました。

向こうメンツはCA、百貨店の下着販売員、金融屋で

ノリも良くかわいらいしい女性が揃っていて

心の中で原辰徳並みのグータッチを1人でしておりました。

 

会も終わり、金融勤めのしほちゃん(仮名)にラインをし後日2人で会う約束を取り付けました。

 

ここで問題なのがお店選びですよね、

高すぎるお店だと「うわ、がちやん、、」と引かれそうですし、

かと言って安いチェーン店でも「うわ、お店知らないんだ、、」と引かれる可能性があります。

 

なのでいい塩梅の価格で雰囲気のいいお店を選ぶ必要があるわけですよ。

 

そこでネットで「デート、コツ」で検索し諸先輩方のアドバイスに基づいてデートに向け予習をしました。

アドバイスは下記のようなものです。

①お店は駅近のお店にすべし

ふむふむ、そらゃどこが最寄ってるのかわからないような立地のお店だと歩くだけでも大変ですもんね、

 

②席はカウンター席にすべし

ふむふむ、向かい合うより2人とも同じ方向を向いている方が緊張もしなくて話しやすいとのこと、また距離が近い分、ボディタッチも自然にしやすく仲が深まりやすいらしいです。

 

③お店を出たら手を繋ぐべし

、、、、、、

なんだこれは!付き合ってもないのに手を繋げなんて!

いやいや、これはちょっと、、やりすぎでは??

諸先輩方は「酔ってて転ぶと危ないから手貸すね!」と言った感じで手を自然と繋ぐらしいです、

こんなセリフ死んでも言えねえよへたれのおれには、、

世のカップルすげえな、、、

まーこれは心に留めておく程度にしよ。と流しました、

 

④精力剤を飲むべし

漢として気分をあげてから臨む方が話が弾むとのこと、まーこれはそうかもと思い当日なにか買ってこと心にメモしました。

 

しほちゃんは「日本酒好き!お魚が食べたい!」と言うことで食べログホットペッパーを見比べ3時間かけてようやくお店を決め当日を迎えました。

 

会社終わりに「マカの元気」を飲んでからお店に向かい、そわそわしながらアドバイス通りのカウンター席で待機です。

約束の時間になり、ドタキャンもありえるなと思い始めて2分後にしほちゃんご到着、

「雰囲気良くて美味しそうなお店だね!」とご機嫌な感じで、ひと安心しました。

乾杯のドリンクを選んでるときのこと

ぼく「日本酒たくさんあるけどどれにする?」

しほ「んー、今日はなんか焼酎の気分だから焼酎にするね!」

 

!!!!いやいや、日本酒好きゆーたのあなたですやん、日本酒100種類くらいあるけど焼酎3種類だけだよ?しかも芋、麦、そば合わせて3種だよ?

焼肉屋行って肉食わずにサンチェばっか食べてるもんよ?いいの??と思いながらもとりあえず日本酒と焼酎で乾杯しました。

 

カウンター席なので距離も近く腕が自然と触れたり、突っ込みを入れる際にも肩をちょんとできたりと、親密になりやすいのかこれは??、

これがカウンターマジックってやつ??とネットの諸先輩方に全力の御礼を心のなかでしておりました。

 

お会計を済まし、お店を出て駅に向かう際にお互いに結構飲んだこともあり少しふらついてました。

「なんか転ぶと危ないな」と本心で思ったときに③のアドバイスを思い出しました、

これか!これは確かに危ない!と思い意を決して

「酔ってて転ぶと危ないから手貸すね!」と言い軽く手を繋ぎました。

相手も繋ぎやすいように握り返してくれて、「おお、手繋いでるおれ、、、」と少し感動しながら駅に着き、じゃあねして電車に乗りました。

 

でも、帰りの電車の中でお礼のラインをし

iPhoneをしまったときに残ったのは楽しさよりも虚しさでした。

 

「デート、コツ」をネットで検索し、彼女を作るテクニックを調べて「マカの元気」まで飲んでましたが、こんなことがしたかったのだろうかとふと思いました。

 

大人の階段を登った気もしましたが、

ヒトとしては退化した感じの方が強くこんなことする大人になりたかったのかなと、

クリスマスも近いしそんな好きでもないけどとりあえず寂しいからとか、こんな小手先のテクニックで彼女作るとかでなく、心でぶつかる恋がしたかったんじゃないか、と思いました。

 

 

あの日描いた大人にぼくはなれているのか?

 

まだまだ大人にはなれてないようです。

あの頃の自分に胸張れるような誠実な恋愛をしようと心に決めました。

 

そしてしほちゃんからラインが返ってこないのはまた別の話である。

 

ぼくから以上!

 

by モテないリーマン